【海外の反応】ビスマルクの予言「このままだと俺の死から20年で全部崩れる」→実際20年後にドイツ帝国消滅

「私の死から20年で、何もかも崩れ落ちる」——ビスマルク解任から28年後
海外掲示板に、一枚のコラージュ画像とともに「うわぁ…」とだけ書かれたスレッドが立った。画像の上半分は、若い皇帝に「このまま好き勝手を続けるなら、私の死から20年後にはすべてが崩れ落ちるぞ」と警告する老宰相ビスマルクと、「はいはい分かりました宰相、あなたは解任です」と返すヴィルヘルム2世。下半分には「ビスマルクの死からちょうど20年後(1918年)」と書かれ、黒白赤の帝国の地図が今のドイツの地図に変わる様子が並ぶ。ビスマルクの解任は1890年、死去は1898年。そして1918年11月、革命のさなかに皇帝は退位してオランダへ亡命し、ドイツ帝国は消滅した。スレッドには各国の国旗が集まり、「誰のどの選択が間違いだったのか」を巡る長い議論になった。以下、海外掲示板の主要な反応を訳して紹介する。
うわぁ…

>>1 第一次大戦があの形で起きた大きな要因の一つは、他ならぬビスマルクが張り巡らせた同盟のシステムだ。しかも解任された頃の彼はもう相当おかしくなっていて、しょっちゅう癇癪を起こしていたし、社会民主党を非合法化しようとして意図的に内戦を引き起こそうとまでしていた。全盛期はとっくに終わっていたんだよ。
>>2 その通り。優秀な外交官ではあったが、彼は過大評価されている。
>>2 彼のせいではないが、時代が変わっていたんだ。そこはアメリカの兄弟の言う通り。ビスマルクが一貫して狙っていたのは現状維持の政策だ。バルカンに引きずり込まれるな、ロシアと仲良くしろ、植民地でバカ騒ぎをするな。問題は、世紀の変わり目には彼がもう完全に老害だったこと。目に見える利益も無いのに我慢し続けるのを、ドイツ国民は望まなかった。海軍? 英国相手にはお話にならない代物だった上に、陸軍に出世を塞がれていた中産階級をなだめるための国内向けのガス抜き装置でもあった。反動主義という一点だけでロシアと組み続けるのも、オーストリアとロシアの勢力圏がバルカンでぶつかり、1880〜90年代にアメリカの穀物が欧州市場へ流れ込み始めると、どんどん難しくなった。民族主義の勢力が伸び始めたのもこの頃だ。ヴィリー(ヴィルヘルム2世)は悪人じゃない。ただ弱くて愚かで、国民に愛されたがって国民の言いなりになった男だ。
>>2 >彼が作った同盟のシステムのせいで そうなったのは、ヴィルヘルムがビスマルクの体制を捨てたからだ。彼は建艦競争で英国を敵に回し、バルカンに大きな領土的野心を持っていたオーストリアに肩入れしてロシアも敵に回した。その二国をフランスの腕の中へ押しやったんだ。
>>4 そう、そこが問題だった。彼が張り巡らせた政治の網は、維持するのに彼自身の外交を必要とする巨大な勢力ブロックを生んだ。そしてヴィルヘルムが後を埋められるほど有能でないまま、彼は正気を失っていった。あの枠組みこそ、戦争があの規模まで拡大した大きな要因だ。ビスマルクは非常に特異な人物で、偉大な外交官である一方、筋金入りの心気症で支配欲の塊でもあり、自分がいなくなった後の安全装置というものを考えていなかった。
>>5 >巨大な勢力ブロックを生んだ あれはむしろ1871年以降のヨーロッパの構造的な特徴だったと思う。ドイツがロシアを取り込めなければ、次はフランスがそうするだけだ。
そもそも、なぜヴィルヘルムは英国と英連邦全部を敵に回すのが良い考えだと思ったんだ?
>>8 ヴィリーは、英国と対等の海軍を作れば友達になれると思っていた愚か者だ。ヴィクトリア女王の孫で、英国に憧れていた。ドイツ皇帝であるより英国の公爵でいたほうが、彼はずっと幸せだっただろう。
>>8 敵対したかったわけじゃない。ただ、自分の不自由な腕は英国人医師のせいだと個人的に恨んでいただけだ。
>>8 思っていない。ただ、衝突を防ぐには無能すぎただけだ。
>>9 じゃあ、なぜ引き下がらずに戦争に踏み切ったんだ?
>>12 ヴィリーは何もかもを一人で決められる絶対君主じゃなかった。トランプに少し似ている。邪悪さは控えめで、頭の悪さは同じくらい。
>>12 引き下がるということは、ドイツに残された最後の同盟国オーストリア=ハンガリーを失い、遠からずヨーロッパの他の国々に踏み潰されることを意味した。少なくともこの道なら勝ち目がある——当時の彼にはそう見えたんだろう。
ドイツの一番の問題は、勝っているうちに手を引くということを知らないところだ。そして結局、始めた時より多くを失う。目覚ましい戦果を挙げ、調子に乗って、もっと欲しがり、全員を敵に回すバカな戦争に自分から突っ込んで、粉々にされる。もっと慎重で計算高い誰かがやっていれば、中欧全体を支配するアメリカ級の大国を作れたはずなんだ。
個人的には、ドイツにとって最も賢明な一手はフランスに攻め込まないことだったと思う。アルザス=ロレーヌの国境はヴォージュ山脈に守られた、防御に適した土地だ。フランスの攻勢はドイツ軍のごく一部で食い止められたし、実際に食い止めた。主力は東のロシアへ向けるべきだったんだ。そうすればロシアをもっと早く講和に追い込めたし、オーストリア=ハンガリーが初期に壊滅的な損害を被ることもなかった。あれは後の戦局すべてに響いた。シュリーフェン・プランは責任ある選択としてはリスクが高すぎた。うまくいく可能性はあったが、取るに値しない賭けだった。西部で攻勢に出ていなければ、ロシアへの要求が無茶にならない限り、英国は中立を保った可能性が高いと思う。
>>16 ああ、結局ロシアこそが協商側の弱点だったのに、お前らの指導部はロシアに対して完全な妄想を抱えていた。実際よりはるかに大きな脅威に仕立て上げる一方で、フランスは数か月で片付けられると思っていた。地図の上では筋が通っていたんだろう、パリはモスクワよりずっとベルリンに近いからな。だが独仏国境が、ロシアと中央同盟国の途方もなく長い国境よりはるかに守りやすいことを計算に入れていなかった。お前の言う通りだと思う。ロシアははるかに早く崩壊し、我々だけで戦争を続ける術は無かっただろう。イタリアも遅かれ早かれ参戦しただろうが、我々の側ではない。ドイツがフランスの植民地をいくつかせしめる未来すらありえた。
>>16 ドイツは軍事的に可能な唯一のことをやったんだ。失敗したのは政治のほうだ。軍が国策に対して大きすぎる影響力を持っていた。本来ドイツは何もせず、アルザスについてフランスと何らかの取り決め(国際管理のようなもの)をして、ロシアに向き合うべきだった。もっとも、それも軍の口出しのせいでどんな平和的政策も不可能だったわけだが。プロイセン体制の全般的な欠陥と、英国式議会制民主主義の優位がここに表れている。
英国を敵に回さずに済ませることは十分可能だった。フランスと英国の間は植民地を巡って緊張が高かった(英国はエジプトでフランスを出し抜き、アフリカ縦断を狙う英国と横断を狙うフランスの競争はファショダで衝突した)。ビスマルクはフランスを孤立させ続けていたし、ロシアとの同盟から英国との協調に乗り換えるのはかなり簡単だったはずだ。英国はアジアでのロシアの膨張を、最大の海外領土インドへの脅威と見ていたからな。第一次大戦は本来「英・独・墺 対 仏・露・伊」になるはずだったんだ。
正直、ドイツは第一次大戦後にほとんど領土を失っていない。失った土地も、ごく一部の小さな地域を除けば民族的にドイツ系ではなかった場所だ。あれほどの戦争を引き起こした側が、これほど小さな代償で済んだ例は歴史上ほとんど無い。世界にとんでもない不正義を働かれたと思い込んで、もう一度世界大戦をやる気になった神経が理解できない。
>>20 ポーランド人であるお前が、この件で完全に客観的なのは間違いないな。ちなみに事実として間違っている。アルザス=ロレーヌ、オイペン=マルメディ、ダンツィヒは90%以上がドイツ語話者だった。賠償金、軍備制限、占領権、主権の制限も広範囲に及んだ。ナチスが宣伝したほどひどかったとは言わないが、お前は明らかに偏っているし、あれが寛大な講和でなかったのは確かだ。寛大な講和というのは、1814年・1815年・1871年にフランスが受け取ったもののことを言う。
>>21 >1871年 >寛大な講和 笑わせるな。
>>22 そうだ。ドイツはパリを占領しておきながら、取ったのはドイツ語話者が多数派で、そもそも神聖ローマ帝国の一部だった国境地域ひとつだけだ。植民地も取らず、フランスの軍備にも河川にも制限を課さず、要塞化や軍の展開の権利も制限せず、賠償金は1807年にプロイセンが課された額を基準にした。
>>23 その戦争が引き起こした死と破壊の量を、お前は完全に無視しているだろう。戦死者も民間人の犠牲も、土地や財産や経済への被害も、それを引き起こした敗者に課される賠償の額とは何の関係も無いと本気で思っているのか?
>>24 いや、お前が正しい。当然それも関係している。ただ、そこはさっきまでの議論の対象ではなかった。それに1806〜07年の戦争は1870〜71年よりはるかに血が流れていないのに、フランスがプロイセンに課した条件はヴェルサイユよりさらに厳しかった。だから「ドイツやプロイセンはフランスに苛烈で、フランスは寛大だった」というのは、ただの俗説だ。
ドイツ人はこれを見てどんな気持ちになるんだ? ※画像の凡例:黄=ヴェルサイユ条約(1919年)で失った領土/橙=自由都市ダンツィヒ/緑=1945年にポーランドへ/紫=1945年にソ連へ

>>26 潜在能力の無駄遣いだと思う。でも何度も見すぎて、もう腹も立たない。
>>28 家畜の意見だな。モーモー。
>>26 あいつらは生まれた時から、「気にしていません」と答えるように仕込まれてるんだ。
>>30 >気にしていないと答えるよう仕込まれている それ以前に、大半の一般人はそもそも領土を失ったこと自体を知らない。冗談抜きで。
>>31 まさか。いくらなんでも、普通の人がそこまで無自覚なわけないだろ。
>>32 教育のあるドイツ人(大学出)ならだいたい把握しているだろうが、全員ではない。別の人が言った通り、ここでは歴史はおまけ扱いだ。「ナチズムは悪でした」というざっくりした認識はあるが、細かいことは何も知らないという人が多い。
>>32 うちの学校制度では歴史は完全におまけ扱いで、日常生活でも話題にならない。ホロコーストですら、割り当てられるのは全部合わせて6時間くらいだ。
>>34 若い世代だが、うちの学校では中世→プロイセンとフリードリヒ2世がジャガイモをくれた話→フランス革命→19世紀と第一次大戦を丸ごと飛ばしてワイマール共和国→その失敗とナチスの台頭→戦争そのものは授業1コマ→戦後復興→冷戦→東西の違い→再統一、で卒業だった。
>>31 ポーランド国境近くの町に住む友人たちは、川の対岸の町がかつてドイツの一部で、ドイツ人が住んでいたと知っている素振りすら見せなかった。歴史の授業では、追放や領土の割譲に触れさせるために、自分から空気を読まずに話題をそっちへ持っていく必要があったし、正直、話が通じたのはクラスの同類だけだった。年配の人や、歴史をちゃんと学んだ若者、あの地域に先祖がいる人は知っている。でも若い世代の半分以上が「ドイツの国境は昔からずっとこの形で、オーデル川の東で起きたことなんて何も疑問に思う必要が無い」と思っていても、俺は驚かないよ。
>>36 >川の対岸の町がかつてドイツの一部だったと知っている素振りすら見せなかった 正直、それでいいと思う。ドイツ人が「東方領土」のことを永久に忘れていてくれるほうがいい。そのほうが我々は平穏でいられる。
翻訳元■
