日本の学校は用務員を雇わず、生徒が自分で掃除する教育文化に海外が絶賛——「米国は障害者に掃除させてた」「日本のW杯ファンの清掃理由が判明」

「生徒が自分で学校を掃除する」教育文化に海外が大絶賛
「日本のほとんどの学校は用務員を雇わず、生徒自身が学校を掃除する。教育制度として敬意・責任感・平等性を教える」という話題が海外コミュニティで大反響を呼んだ。サッカーW杯で日本人サポーターがスタジアムを掃除する話題と絡めて議論が白熱し、「素晴らしい教育」「米国の学生はゴミを地面に投げ捨てる」「自分の街は障害のある子に掃除させてた」と賛同する声と、現場経験者からの「日本で教師してるけど実態は『掃除のフリ』で学校は汚い」「プロのジャニターを雇わないと衛生面で問題」という厳しい指摘も飛び交った。
以下、海外の反応からその背景と現状を独自の視点で分析していく。
日本のほとんどの学校は用務員を雇わない。日本の教育制度は、生徒に学校掃除をさせることで敬意・責任感・平等性を教えるべきと考えている
この発想いいな。俺が教えてる学生たちはゴミを地面に投げ捨てるし、大学のルームメイトに至っては家事を一度もやったことがないのが明白
昔、大学の研修で日本に行った時のこと。ある夜、大学で会った日本人学生がパーティーに招待してくれた。飲んで盛り上がって、終わる頃にはみんなベロベロ。帰ろうとしたら、清掃用具を渡された。 日本人学生は全員、散らかった部屋を片付け始めてた。アメリカ人は荷物だけ持って帰ろうとしてたのに対比して
「自分の後始末をしないことは周囲に迷惑をかける」という発想が、こんなに自明なのに、俺の周りでは誰一人考えたことがなかったのが信じられない 西洋では「誰かが掃除してくれる」という考えに甘やかされすぎて、ジャニターにどれだけクソみたいな扱いをしてるか気づかない。誰かに金を払ってるとしても、5秒余分にかけて自分のゴミを残さない理由にはならない
俺のポーランド人の彼女が主催のイベントで、ルームメイトが手伝いを約束したのに何もしなかったことに激怒してた。俺のゲストの3人だけが片付けを手伝った、しかも1人は何も言わず黙々と掃除し始めた
俺の高校は知的障害のある子たちに掃除させてた。マジで
うちの学校もそう。でもあれはライフスキルを教えるためだった。知的障害がある人は俺たちと同じ仕事にはつけない。でも何か役立つことを学べば、より自立できる可能性が広がる。 ひどい「障害者を奴隷化」プログラムだった可能性もあるけど、最も「普通の」経験を提供しようとしてたのかも
ライフスキルとしては良いけど、障害のない子たちに「掃除は障害のある子の仕事」というエリート意識を植え付けるから、彼らを最悪な人間にしちゃう面もある
ジャニター(用務員)は社会で重要な機能を果たす尊敬すべき仕事だ。ただし、彼らが知的障害者の場合は除く——それはつまり彼らの労働を見下しているということ
「ちゃんとしないと一生トイレ掃除する羽目になるぞ」と言われたこと、ないか? 米国ではよく使われる脅し文句。掃除という仕事自体を誰がやっても見下す人が多すぎ
日本で長年教師をしてる者として。学校による。生徒が膝をついて床をゴシゴシ磨いてる学校もあるけど、ほとんどは… 俺の好きなエピソード:ある男子生徒がぼんやりしながら箒を空中で振ってた。俺(日本語で):「何やってんの?」少年:「えっとぉ……空気汚染?」
あと、トイレはマジで汚くて臭い。高校生が床に水だけ撒いて、モップで5分間半端に押し動かしてる様を想像してみて。 ソース:日本の学校で働いてる時、妊娠中だったから頻繁にトイレ使ってた
申し訳ないけど、日本の生徒が学んでるのは「掃除時間中に最小限の労力で『一応掃除してる風』を装って時間を潰す」スキルだ。 これは大学生活の準備になる——最小限のことをして単位を取る。そしてサラリーマン生活の準備にもなる——夜9時10時まで残業せざるを得ないので、生産性を抑える。 理念は素敵だけど、実態は魂を消耗させる
みんなこれを「素晴らしい」と言ってるけど、ぶっちゃけプロの清掃員を週1回でも雇うべき。日本の学校が20〜25年経つとどんな状態になるかコメ欄の人は信じないと思う。ボロボロで、埃やクモの巣だらけ。子どもが全部掃除するから当然。窓なんて…
今、日本で英語を教えてる者。確かに毎日掃除はするけど、学校はめちゃくちゃ汚い。米国の公立校より遥かに汚い。ゴミのポイ捨ても誰も気にしない。全部の机に何か彫られてるか書かれてる。他の生徒も気にしない、なぜならみんな掃除時間にサボるから
これ確認できる。交換留学生として日本にいた時、学校は本当に汚かった。生徒は最短時間で最小限の労力で掃除してた。トイレ(洋式も和式も)は適切に掃除されたことがない。ホースで床に水撒いて放置するだけ
韓国でも同じ。表面はきれいに見えても、実際の教室にはゴキブリとカビが普通。教師がチラ見した時だけは輝いて見える。 結論:用務員を雇え。子どもは子ども。「掃除しろ」と言われたら半端な仕事しかしない。少なくとも週1回はプロの掃除が必要
東京で3校、岐阜で1校学んだ者。北米の学校と比べたら全然きれいじゃない、汚い。壁は埃まみれ、床は完璧にきれいになることはない。窓は忘れて。 ただ、完璧じゃないけど、彼らの将来の成功にはつながると信じてる。マジで汚いけど、ここの人はそれを理解してない
日本人だけど、子どもの頃は掃除当番が大嫌いで、クラスメイトと賄賂で交代を頼んでた(笑)。 学校にいながら勉強せずに済む「逃げ」と見られてもいた(みんな勉強好きじゃなかったから)。 でも振り返ると価値があると分かる。大人になっても、道のゴミを見過ごせない人間になった
日本の中学校で働いてた。生徒たちは教師の湯呑みを全部洗う係になってた。俺の湯呑みを彼らが洗うのを見たその日が、最後に湯呑みを使った日。マジで汚い
これでサッカーW杯で日本人ファンがスタジアムを掃除してた理由が完全に分かった
ブラジルW杯で日本人観光客が試合後にゴミ拾いをして、ニュースになった。海外では「奇妙な光景」として報じられたほど
日本人ファンが掃除してる写真と、メキシコ人ファンがビールを盗んでる写真が並んでた構図、最高に笑えた
西洋人だけど、俺は常に自分のゴミを片付ける。来た時の状態で場所を残すのが自然
英国では、ゴミ拾いは罰として課される。「子どもにこれを教えるのは最悪のメンタリティ」。だから誰も「街の清掃員」のクソみたいな仕事をやりたがらない。社会に必要な仕事じゃなく、罰として扱われてるから
英国では今もコミュニティサービス(社会奉仕)として、犯罪者にゴミ拾いをさせてる。罰としてだ。間違いじゃないよね?
ただ、日本の生徒が出すゴミの量を甘く見ない方がいい。常に視界に自動販売機がある国。お菓子、ドリンク、その他諸々の自販機の量は半端じゃない
Princeのインタビューで、各国の観客の違いを聞かれた話を思い出す。Princeのクルーは全公演のスタジアム全座席に記念クッションを置いていたけど、他のすべての国で観客が持ち帰った。 日本では「持ち帰っていい」と言われなかったから、誰も持ち帰らず、すべてのクッションが座席に残ったままだった
だから東京にゴミ箱がないんだよ——次のJR駅かホテルまで自分でゴミを持ち歩く。最初はゴミ箱が無いんだと思ってた
そして、濡れた雑巾で床を拭いて、それを干して、何ヶ月も使い回す——これじゃ床が光るわけがない。 米国で育った俺は、日本の学校で数年働いた。米国の学校の方が常にきれいだった。たまに子どもが泥だらけの靴で来たりして悪い日もあるけど、平均すると…
全部の学校じゃない。少なくとも俺が教えてた学校は2人のジャニターを雇ってた。子どもの「掃除」は、友達とおしゃべりしながら埃を円形に動かす程度だった。彼らは普通の子どもなだけ
特に98%の生徒が家で家事をしないから(農家の子以外)。常に忙しそうに見せるけど、誰かを上回るパフォーマンスは見せないスキルを学ぶんだ
それで米国の中学1年生は、「答えのページを教えないなんて、これじゃ大変すぎる!」と文句を言うんだ
トイレだけはプロを雇えばいい。それ以外は生徒で
台湾の友達からも同じこと聞いた。アジア圏共通の文化なのかも
管理人の分析・見解
日本の学校掃除文化の起源は禅宗 — 6世紀から続く修行思想
日本の学校で生徒が掃除する習慣は、明治の近代学校制度以前、禅宗の修行哲学 に起源を持つ。禅宗では「一・掃除 二・座禅 三・看経(経を読む)」と言われるほど、掃除は修行の最重要要素とされる。「掃いたり磨いたりという動作を通じて、心のほこりも取り払う」という教えは、6世紀にインド人の僧・達磨が中国に伝え、13世紀(鎌倉時代)に日本に渡来。禅寺での日常修行に組み込まれた。
この伝統が 江戸時代の寺子屋教育 で庶民にも普及し、寺子(生徒)による教場の掃除が当たり前として根付いた。明治政府は1872年の学制発布で近代学校制度を導入する際、この伝統を意図的に引き継ぐ判断をした。
表1. 日本の学校掃除制度の歴史
| 時代 | 出来事 |
|---|---|
| 13世紀 | 禅宗が日本伝来、寺院掃除が修行の中核に |
| 江戸時代 | 寺子屋で生徒による教場掃除が一般化 |
| 1897年 | 文部省訓令第1号「学校清潔方法」で掃除手順を制度化 |
| 戦後 | GHQ占領下でも掃除習慣は維持 |
| 現代 | 90%以上の小・中・高で生徒掃除が継続 |
「掃除=教育」という日本独自の教育観
世界的に見れば、児童・生徒が学校を掃除する国は 極めて稀 だ。米国・欧州・中国(大部分の都市部)では、専門の清掃員(janitor)が業務として掃除を担当し、生徒は授業と部活動に専念する。日本のように「掃除自体を教育の一部」と位置づける文化は、禅文化を共有する韓国・台湾・ベトナムの一部 に限定される。
文部科学省は学校掃除を 「特別活動」 の一環として学習指導要領に位置づけ、以下の教育効果を期待している:
- 敬意:自分が使う空間への感謝
- 責任感:自分の行動の結果を引き受ける
- 協調性:班単位での分担と協力
- 平等性:教師・生徒・職員の身分差なく掃除する
- 勤労観:「働く」ことを身体で学ぶ
W杯日本人サポーターが試合後にスタジアムを掃除する映像が世界で話題になるのは、この 「掃除=当たり前の生活習慣」 が日本人に幼少期から徹底的に刷り込まれている結果である。
「衛生面では問題」という海外側の指摘の検証
「プロのジャニターを雇わないと衛生面で問題」という反論にも一理ある。実際、文部科学省の調査では 生徒掃除では落としきれない汚れ(窓ガラスの裏側、給排水設備、空調フィルター、トイレ床の細菌) について、専門業者の定期清掃が補完的に必要とされている。多くの学校が「日常清掃は生徒、定期清掃は外部委託」というハイブリッド方式を採用している。
「日本の学校が常に清潔」というのは半分神話で、実態は 生徒の手では限界がある ことを認めた上で、「掃除する行為の教育的価値」を重視するという選択をしている。海外コメントで「教師してるけど実態は掃除のフリ」という指摘が出るのは、この限界を端的に表している。
国際的な評価と「Cool Japan」輸出への動き
日本の学校掃除文化は、近年 UNESCO や OECD の教育報告書で「Good Practice(優良事例)」として紹介 され、エジプト・タンザニア・モロッコなど一部の途上国では JICA主導で日本式学校清掃を導入する実証プロジェクト が走っている。タンザニアの一部小学校では導入後、児童の遅刻欠席が減り、保護者の満足度が上昇したという報告も。「掃除教育」が日本独自の ソフトパワー輸出商品 として位置づけられつつある。
W杯日本人サポーター清掃やオリンピック関連の話題でこの文化が世界に紹介されるたびに、「日本人はなぜ綺麗好きなのか」という問いに対する答えとして、この 150年続く学校教育プログラム が引用される。日本が公共空間の質で世界トップである理由は、ハードのインフラだけでなく、生涯にわたって続く 「自分が使う空間は自分で綺麗にする」 という共有された規範意識にある。
参考・出典
- OECD(教育・学校制度に関する各種統計)
翻訳元■